
初めまして、PRELISS design(プレリスデザイン)と申します。
・芸大を卒業
・関西・中部の制作会社にグラフィックデザイナーとして10年勤務
・2010年出産・育児のため一時休業
・2011年〜フリーランスデザイナーとして独立
・2015年〜Webデザインの修得
・2016年〜Webマーケティングの修得
・2022年プレリスデザイン設立、現在に至る
幼少期から絵を描くことが大好きで、ドラえもんやドラゴンボールなどの漫画を真似して絵を書いていました。
運動は苦手だったので、美術部や吹奏楽部に入って楽しんでいました。
声に出すよりも何かを作り出して表現することが好きだったんだなと思います。
高校の時にデザインに憧れを持ち、頑張って芸大に入学。
卒業後は超就職氷河期だったので苦労しながら制作会社に就職しました。
会社ではグラフィックデザイナーとして下積み。
大手企業カタログ、カレンダーなど印刷物の制作 ・撮影ディレクション ・ディレクターなど様々な経験を積んできました。
出産を機に2011年に独立しました。
WordPress ・HTML/CSS Webマーケティングを学び現在はWebメインのお仕事が多いです。
>>デザイン実績はこちら
※守秘義務があり大手企業様の制作物はお見せすることが出来ません。


辞めたいと思い続けたグラフィックデザイナー会社員時代
デザイン会社に10年勤務しましたが、ハードすぎてデザイナーを辞めたいとずっと思っていました。
毎日夜中まで残業でボロボロに
私は就職氷河期と言われた時代にグラフィックデザイナーとして就職できました。
その会社では約7年間、印刷物のデザイン・ディレクションやプレゼン書類の作成・撮影の立会い・印刷の立会いなど、様々なことを学ばせていただきました。
ですが・・とにかくキツイ!(笑)
デザイン業界は残業と徹夜は当たり前。
おまけにクライアントからは下請けとしか見られていないひどい扱いばかりでした。


定時過ぎてから修正指示がきて、夜中までかかったり・・
金曜日に「月曜に欲しい」と言われ、休日出勤は当たり前だったり・・
お客様が夜中に校正をして、深夜2時頃に修正して入稿するなんてことが当たり前のようにありました。
精神的にも体力的にもきつかったです。
デザインすることが苦痛でした
SNSなどで「未経験からキラキラwebデザイナーになろう」なんて言葉が流行していますが、私には「??」です。
ブラックで、下請けでしかない、デザインを考えるのには相当な労力がかかる。プレッシャーもある。
上司からも怒られるし、クオリティが低いと「あいつはダサいデザインしか作れない」と言われ社内の評価も下がる。
私は全然デザインが上手くできなくて、簡単なDMを作るだけでも休日出勤してかなりの時間を費やしていました。
「才能ないな・・・」
と、本気で思っていました。
本当にデザイナーを辞めたかったし、デザイナーに価値はないと思ってしまいました。
育児と仕事の両立で悩んだ独立初期
体力的にも精神的にもボロボロになり、結婚を機に退職。
その後、やはりお金が必要だったので別のデザイン会社に正社員として勤務することになります。
2年ほど勤めた時に、妊娠・出産で育休を取り、しばらく育児に専念していました。
女性の社会復帰が難しいことを痛感
そして育休後にいざ働こうとした時に、ママの社会復帰には高い壁があることを思い知らされたのです。


「なんで女だけが我慢しないといけないんだろう・・」
保育園は競争率が高く、入れなければ職場復帰はできません。
預けれたとしても、小さい子どもは体調を崩しやすくすぐに熱を出すため、勤務中に早退したり休んだりすることになります。
同僚に迷惑がかかるし、子どももかわいそうだし、復帰することはすごく悩みました。
そこで、元いた会社で在宅ワーカーとして復帰しましたが、いくら働いても月収は5万円止まり。
これでは保育園代にもなりませんでした。
取引先のお客様からのアドバイスで独立を決意
会社の取引先で仲良くしていただいていた方にポツリと愚痴をこぼした時に、
「仕事を直接お願いしたいから、独立しちゃえば?」
と言われ、後先のことを考えずに独立することにしました。
退職してからは、直接取引先からお仕事を定期的にもらえるようになり、月20万は稼げるようになりました。
仕事量が安定しない!問題に直面
定期的にお仕事をもらえるとは言いつつも、毎月ではなく、全く仕事のない月が数ヶ月続くこともありました。
それは当然。
私は他に営業活動などをしていなかったからです。
取引先が1社だけなので当たり前ですよね。
そこでその無収入の月を補填すべく、デザイン以外のことがやりたいと思うようになりました。
ネットビジネスにはまる
「副業」という言葉が流行ってきた時代。
ネット上には「楽に稼げる」「パソコンだけで月収300万円」「自己投資が重要」など、冷静に見たら詐欺のような副業がたくさん出回っていました。
私もそんなネット上の言葉を信じ、ネットビジネスを始めました。
中国輸入、せどり、バイマ、メルカリ、など物販を始め、SNSやブログを使ったアフィリエイトなど。様々なことに手を出し、ことごとく失敗してきました。
多少は稼げるようにはなるけど、すぐに規制が入って稼げなくなるということが続いたのです。
デザインとネットビジネスを微妙に続けている時に、コロナで状況が一変しました。
コロナの影響で無収入になりかける
コロナの影響で、デザインの大口取引先からのお仕事がゼロになりました。(取引先は旅行関係の会社だったんです)
「えっ・・こんなことが本当に起こるん・・?」
一気に無収入になってしまいました。
ネットビジネスも上手くいっておらず、崖っぷちに立たされました。
Webデザイナーとしてリスタート
結局、私が世の中の役に立てるのは「デザインしかない」ということを改めて考えさせられました。
デザイナーを辞めたいと思いながらもデザインを続け、デザインに助けられてきたのです。
そのことから目を背けてきました。
これからはデザインとちゃんと向き合い、社会や地元に貢献できるお仕事をしたいと思えるようになり、
それを再認識しリスタートすることにしました。
グラフィックからWebデザイナーへ
私はグラフィックデザイナーとしての経験はありましたが、Webデザインは独学でした。
グラフィックからWebへ転向しようと思ったきっかけは、クラウドソーシングなどでWebデザインの方が単価が高かったからです。
月収は30万円が目標だったので、それを達成するためには必要だったんですよね。
ネットビジネスをしていたときに、WordPressに慣れ親しんでいたので、Webデザインに抵抗はなかったです。
サーバー・ドメインからHTML/CSS、SEOの知識まで幅広く勉強していました。
ネットビジネス時代は失敗だったのですが、全て無駄ではなかったのです。
Webマーケティングの知識やスキルが今とても役に立っています。
実際に仕事としてWebデザインを受けたことがなかったのですが、たまたま知り合いに声をかけられ、LP制作案件を頂くことができました。
勉強しながらの実案件でしたが、無事に納品でき、そこから自信が付きました。
クラウドソーシングに登録し実績を増やす
ランサーズ、クラウドワークスなどにも登録することから始めました。
クラウドワークスはあまりいい案件がなかったので長続きしませんでした。
ランサーズはコンペに通らないことが多く、安定した収入にはなりにくいことが分かりました。
その後、ココナラを始めてみました。
最初は全然売れなくてやめようかと思いましたが、少しずつ問い合わせが増え、今はココナラ中心にお仕事をしています。
営業なし、SNSなし。子育てしながら在宅Webデザイナーへ
ココナラのおかげで、営業なし、SNSなしでも仕事が安定するようになりました。
ココナラ以外でも、ネットビジネス時代の繋がりが生きていて長年のリピーターも出来ました。
会社員時代のようにストレスで振り回されることもなく人間関係もありません。
仕事は選ぶことができるからです。
さらに対面での打合せはなくチャット(たまーにZOOM)だけなので、コミュ障の私でも安心して打ち合わせができます。。
また、在宅なので仕事の合間に家事育児が出来るのも嬉しいポイントです。
デザイナーを辞めたいと願っていた私でしたが、デザインの力に助けられ生きています。
Webデザインは手に職を持ちたいと思う女性におすすめしたいスキルです。
この経験を活かし、当ブログではWebデザイナーになるための方法を紹介していきたいと思っています。
プレリスデザインの実績


実績はこちらからご覧ください。


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ココナラにもポートフォリオを置いています。
最高月間50万PVのブログ運営経験あり


2020年頃からブログを始め、最高月間50万PVを達成しました。
Googleアドセンス、アフィリエイトにも挑戦し、最高で月収7万円になりました。現在そのブログは放置状態ですがそれでも毎月数万円の利益を生み出してくれています。
※こちらはデザインとは無関係の趣味ブログです
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